ネオン

自分とネオン

2011年3月、ラスベガスにいた。
震災の前だったと思う。
はじめての海外、それほど興奮していなかった。
機内の中でも割と心は落ち着いたままだった。

その頃の自分の中では、海外と言えばアメリカやった。
日本という国に生まれ、小さい頃からアメリカのスポーツ、映画、音楽に触れて育った。
今になって思えば海外についてかなり偏った考えを持っていた。
ただ、この国に生まれて、特に外国人のほとんどいない地方で育ったりする場合は、こうなることが当たり前やろうなと思う。
大学で関東に出てくるまでに見た外国人なんて、巨人のキャンプにいた助っ人選手か、友達の家にちょろっとホームステイしに来てたドイツ人の二人ぐらいやった。
初めて大学受験で大学に来た時に、外国人が3人くらい校内を歩いてるのを見て衝撃を受けたのを覚えている。

最終日まで、それなりにアメリカを楽しんだ。
スタバやサブウェイのサイズはめちゃめちゃでかかったし、グランドキャニオンはめちゃめちゃ暑かった。
ベラッジオのショーは凄かった。
カジノに年齢制限で入れなかった。
チップは渡さないかんし、良くわからんなあとも思った。
金は全然なかったから、現地で買ったのはカジノに入る為のスラックスだけ。
ほんとにただ空気吸いに来ただけって感じやった。

それでも、最終日に友達と二人でやったホテルホッピングは、人生の記憶に残るぐらい楽しかった。
ラスベガスでは、ホテル一つ一つがテーマパークみたいになっていて、宿泊してない人でもカジノ、ショー、プール、ビュッフェやショッピングを楽しめるようになっている。
友達がガイドブックを持っていて、無我夢中でタクシーを使って一晩でホテルを巡り巡った。
何も買わなくても、歩いてるだけで楽しかった。

日本に帰ってから、何であの夜があんなに楽しかったのか考えた。
その時に、ラスベガスの生態を調べていたら、ネオンという言葉に出会った。
ネオンはネオンでも、ネオンサインと言って、ネオンガスを注入したガラス管で作るサインのことやった。
もちろん、色々なホテルがあるから楽しかったんやろうけど、その空気を作ってたんはネオンやなと、思った。
そこから自分は、ネオンに興味を持つようになった。
一度、ネオンの存在に気付くと、世の中はネオンで溢れていた。
街中、映画、PV、本、色々なところでネオンが目につくようになった。

大学4年になった。
フラフラしていたので、大学は休学した。
ある時、ネオンを作ってみようと思った。
初めは秋葉原に行ってLEDのワイヤー買ったりして遊んでいた。
ただ、自分の知ってるネオンではなかった。
友達に、ネオン屋に行ってみたらと言われた。
そいつは、面白いやつで、今では人生のバイブルになった森永博志の本をオレに教えてくれた。
ネオン屋をネットで調べて、訪ねた。
せっかくやから、一番有名なネオン屋に行ってみようと思って、けっこうネットで探して、自分に合ってそうなところを選んだ。

連絡を取ると、ネオン職人の方は気さくに自分を迎え入れてくれた。
今でもその人には感謝している。
色々、話をして頂いた。
「ネオンで食ってくのは、無理だよ」と言われた。
重い言葉だった。
まだ震災から3年しか経っていなかった。
青色ダイオードがノーベル賞を受賞した直後だった。
原発事故もあって、世の中で、特に企業の中では、電力を自粛・節約しようという空気が蔓延していた。
震災で失われた光は、まだ闇のまま。
事実、その方は副業をして生計を建てられていた。
だったら、アメリカに行ったろうと思った。
現場で荷揚屋の仕事をして金を稼いだ。
三茶で友達と6畳に二人で住んで生活費を抑えた。
友達は渋谷で美容師をしていたので、毎日帰りが遅かった。
お互い毎日クタクタだった。ツマラナイ喧嘩もした。

三カ月でそれなりの額を稼いだ。
ネットで、ネオンの学校を調べてみた。
旅券、家、入学費、生活費、とてもじゃないが全然足りなかった。
留学というのはお金がかかることを知った。
ある日、地元の友達と酒を飲んだ時に、説教を受けた。
友達の目に映る自分と、自分が思い描いている自分は違うらしい。
二人暮らしも大家にバレてグチグチ言われていたころだった。
更に借金してアメリカに行ってネオン作りを学んでも、今の日本ではネオン作りはお金にならない。
同居人と二人、金がないって話になった。
金がいると思った。
日銭を稼ぐ生活から脱却せなアカンと思った。

その頃、世の中ではTwitter, FacebookのようなのWebサービスを作って、若い創業者が大金を稼ぐことが度々話題になっていた。
パソコンは得意だったので、知り合いの方に仕事を紹介してもらい、プログラムのバイトを始めることになった。
毎日朝起きてから寝るまでパソコンと向き合った。
体重は増えたが、その分やれることも増えた。
途中、デジタルアートやVJなんかもやったが、しっくりこなかった。
いつの間にか、バイトからフリーランスになっていた。
見たことない金が口座に振り込まれるようになった。
海外に出よう、と思った。
森永博志の本を読んでから、ずっと旅をしたいと思っていた。
25歳になる前だった。
ネオンのことはほとんど頭から消えかけていた。

海外に出てからも、仕事は続けていた。
だけど、遊びが楽しくなって、仕事への情熱は次第に薄れていった。
そういう生活を2年くらい続けていると、感覚がマヒしてくる。
新しい街へ行っても、最初の頃に比べると、感じることが少なくなってしまった。
ふと、カメラを見ると、撮り溜めたネオンの写真に目がいった。
行った街で写真を取るようにしていたが、気付くとネオンばかり取っていた。
ネオンが好きだな、と思った。
香港に行った時、はじめてネオンを語り合える友達ができた。
香港の街でネオンツアーを開催しているらしく、参加させてもらった。
尖沙咀あたりのネオンの数は半端じゃなく、普通の旅行者の人も写真を撮っていた。
普通のアートギャラリーにネオンの作品が多数あった。
もともと、アートに興味はあったが、旅をしてからアートにはさらに興味が湧いていた。
まさか、ギャラリーにネオン作品があるなんて、とも思った。
アートというやり方は、ネオンでもできるんや、と思った。
商業ネオンしか知らなかった自分には、すごく新鮮に映った。
翌年、もう一回いったらドイツの有名なドキュメンタリー番組が密着取材でその子について回っていて、なぜか僕はネオンボヘミアンとしてインタビューされた。
確かに、自分ほど世界のネオンを見た事があるやつはいないかもしれない。

日本に一時帰国していたころ、昔伺わせて頂いたネオン職人の方をもう一度訪問してみた。
聞くと、Instagramのおかげか、ネオンの受注が止まらないらしい。
時代はすぐに変わるんやな、と思った。
ちょろっと検索してみると、webやinstagramが、ネオンをやっている人で溢れていた。
元からいたのかもしれないけど、ちょっとしたブームになっているようだった。
今から始めるのはちょっと遅いかもなぁ、とも思った。
だけど、もう自分の中でネオンで表現したいことがあった。
俺は、商業ネオンはやらずにアートをやろうと思った。
今度は、揺れることはなかった。そして、アメリカへ行った。

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ネオンサインの購入・オーダーを検討されている方へ

蛍光灯の光が、「闇をかき消す光」だとすると、白熱電球は「闇を照らす光」で、ネオンは「闇に感情をもたらす光」だと思います。
LEDは、役不足やなって感じです。
ネオンで動く感情の幅と、LEDで動く感情の幅は全く違うと思うからです。
もちろん、LEDの研究が進んでいる現在、将来は分かりません。
夜中、東京を歩いていると、オフィスで蛍光灯が光っているのが見えます。
闇がかき消されたその空間では、夜であることは全く分からないはずです。
仕事をする上でも、蛍光灯はあまりにも無機質やな、ちょっと違うんじゃないの、と思います。
白熱電球は、間接照明や、デスク、トイレなんかの照明に使われていると思いますが、明かりを灯すだけで、特に感情が揺れることはありません、少し雰囲気は出ますが。
LEDでは、その光そのもので感情が揺れることはありません。
光っているのは、半導体のチップです。
基本的には、点の光で、光る方向や輝度も限られています。
もちろん、インスタレーションなど組み合わせ次第では色々な工夫が可能だと思います。
ただ、ネオンの光、あのガラス管が全方向に光るような光かたには敵いません。
個人的には、光のような色をつけたい時に簡単につけれる、絵の具みたいなもんかなと思います。
たまに、ネオンと聞くと、大阪のグリコの看板や(もうネオンではなくなってしまいました)、銀座の大型看板を思い浮かべる人がいます。
実際は、小さいものから、大きいものまで様々です。
小さな珈琲店や、夜の街にデカデカと置かれているネオンやと見えてくる表情も違います。
それは、時に妖しげで、時に悲しげで、時に明るく、人に寄り添える、闇を否定しない光やと思います。

今、日本でネオンを作られている方や企業さんは、LEDやデジタルサイネージも一緒にやられているところが多いと思います。
ネオンだけやられているところは、とても少ないはずです。
震災直後からのことを思うと、その時代を乗り越えてやれれている方々です。
需要が落ちても、なんとかそれをかいくぐってきた方じゃないでしょうか。
ネオンへの、大きな愛がある方々やと思います。
もし、お店でネオンを置かれることを検討されている方は、ネオン一本でやられているところを探してみるのもいいんじゃないでしょうか。
上手い人が作ると、何十年も全然壊れないし、消えないです。電気代も、大してかかりません。

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最後に

今も、ネオンと歩む人生の途中。
道半ばどころか、まだまだスタートラインにも経っていない。
表現したいことは山のように出てくるし、当然上手くいかないことも出てくる。
ネオン菅を曲げる以前の問題であることも多々。
それでも、ずっとネオンに魅せられている。
これからも、自分とネオンの物語は続いていく。

工藤 玲